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東京高等裁判所 昭和32年(ネ)568号 判決 1958年10月15日

控訴人 末広商事株式会社

被控訴人 国

訴訟代理人 舘忠彦 外一名

主文

原判決を取り消す。

被控訴人は控訴人に対し金五万円及びこれに対する昭和三十年十一月二十三日から完済まで年五分の金員を支払え。

控訴人のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審を通じこれを五分しその一を被控訴人その余を控訴人の負担とする。

本判決は主文第二項に限り仮りに執行することができる。

事実

控訴代理人は「原判決を取り消す。被控訴人は控訴人に対し金二十九万五千四百円及びこれに対する昭和三十年十一月二十三日から完済まで年五分の金員を支払え、訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする」との判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張並びに立証は、控訴代理人において「本件においては、登記官吏が、不動産登記法施行細則第四十二条に基いて提出された印鑑証明が明らかに不適式であるにも拘らず、これを受理したものであつて、これは登記官吏の実質的審査権の問題でなく、形式的審査を誤つたものである。実質的審査権とは、形式的には適式であるが申請の内容が実体上の権利関係と一致するか否かを審査することである。本件において、この形式的審査の誤りがなかつたならば、訴外沢口による詐欺行為も不可能であり、控訴人も融資による損害を蒙ることのなかつたものであるから、その間に一連の因果関係のあることは明白である。控訴人は、不動産登記法第四十九条同法施行細則第四十二条などの規定によつて、本件の如き非実在人の登記があり得ないと信じ、国家の登記を信用して融資先の調査の資としたものであるから、控訴人には何らの過失もないものである。なお、本件根抵当権設定登記及び賃借権設定請求権保全仮登記は、その後職権によつて抹消されたものである」と述べ、当審における証人横溝増之助同上野武平の証言を援用したほか、いずれも原判決の事実摘示と同一であるので、こゝにこれを引用する。

理由

控訴人の主張する日時、横浜地方法務局において、控訴人の主張する建物につき抵当権設定登記がなされ、右法務局の担当係員が右登記済証を右登記の申請者に交付したこと及び右登記の申請に際し訂正箇所ある沢口清治名義の印鑑証明書が添附されていたことは、当事者間に争のないところであつて、この事実と成立に争のない甲第一ないし第三号証及び当審証人上野武平同横溝増之助の各証言を綜合すれば、

一、控訴会社は、金員貸付を業とし、担保による貸付の場合は建物を主とし、金員貸与方の申込があると控訴会社の調査員が担保に供される建物を調査し、適当とするときは、控訴会社の委任状などを交付し、申込者をして控訴会社名義の根抵当権設定登記、賃借権設定請求権保全の仮登記をなさしめ、その登記済証を提出させて金員を交付し、貸付けることとしていたこと。

二、本件においては、昭和三十年四月頃年令三十二、三才の沢口知至が沢口清治と称して金借の申込をなし、控訴人主張の建物を自己の建物であるとして、これを担保に供すると申し出たので、控訴会社の使用人上野武平はこれを信じ、右建物を見分した上右沢口に控訴会社の委任状などを交付し根抵当権の設定登記などを求めたところ、右沢口は控訴人主張の根抵当権設定登記をなしその登記済証を得てこれを控訴会社に提出したので、控訴会社は金員貸付名義で金三十五万円を右沢口に交付したこと。

三、然るに、右建物は沢口知至の所有でなく、その父沢口清治の所有であつたが同人は昭和十九年三月三十日死亡し知至の兄沢口史滋が家督相続したものであつて、前記抵当権の設定はその効力を生ぜず、右沢口は金五万四千六百円を返済したがその後行方不明となり右貸付金は回収不能となつたこと。

四、右澤口知至は、自己名義の印鑑証明書の交付を受け、印鑑の下にある氏名生年月日のうち「知至」とあるを抹消しその下に「清治」と書き加え、証明願人として右澤口知至とある「知至」を抹消して清治と書き加え、それぞれ印鑑と同様の印を抹消箇所に押捺した印鑑証明書を添附して、横浜地方法務局に前記のように抵当権設定登記申請をなし、同局係員はこれを受理し控訴人主張の根抵当権設定登記をなし、その登記済証を右澤口知至に交付したこと。を認めることができ、右認定を左右するに足る何らの証拠もない。

控訴人は、右根抵当権設定登記申請は、これに添附した印鑑証明が不適式であつて、所轄法務局においてはこれを受理すべきでないのにかかわらず、係員の過失によつてこれを受理し、その登記をなし登記済証を交付し、控訴人はこれを信じて金三十五万円を交付して貸付け、右貸付金額は回収不能となつて、結局同額の損害を被つたのであるから、所轄法務局の係員の過失と控訴人の被つた損害との間に相当因果関係があると主張するのでこの点につき案ずるに、

(一)、根抵当権の設定登記の申請には、申請書、登記原因を証する書面、登記義務者の権利に関する登記済証などのほか、不動産登記法施行細則第四十二条により、所有権の登記名義人の印鑑証明を提出することを必要とするものであり、これによつて所有者の不知の間に登記されることを防がんとするものであることが明らかであるので、登記官吏は印鑑証明については特段の注意を払いその真偽を審査すべきところ、前認定の事実によれば、前記印鑑証明は、一見して澤口知至として得た印鑑証明を澤口清治とかいざんしたものと疑うに足るものであつて一応登記事務の取扱いを心得ているものなれば特に練達でなくとも容易に発見しうる不適式な印鑑証明であることが明らかであるから、前記登記申請を受理するには適式な印鑑証明を更に提出することを求めるか、またはこの申請はこれを却下すべきものであるにかかわらず横浜地方法務局においてはこの措置に出でず、不注意にも右申請を受理し、その旨の登記をなし登記済証を発行交付したのは、同法務局の係員が前記注意を怠つた過失によるものというべきである。

(二)、前認定の事実によれば、控訴人は前記登記済証により前記建物についての根抵当権の設定登記が適法になされたものと信じ前記澤口知至に金三十五万円を貸借名義の下に交付し、これを騙取されて同額の損害を被つたものと認めるべきであり、この場合において、右澤口知至において前記登記済証を提出しなかつたならば、控訴人において右金員を貸付けなかつたことを推知しうるので、右登記済証の発行交付と右損害との間に原因と結果の関係のあるを否定することはできない。しかしながら、登記申請においては、登記官吏はいわゆる形式的審査権を有するに止るので、実体関係を伴わない事項につき登記をなし登記済証を発行交付することは、もとよりありうることであつて、登記済証の発行交付があるからと言つて、常に必ずこれに表示された権利関係が有効に存在するものとは限らないのであり、また、登記の効力は、不動産登記法第四十九条第一号第二号の場合を除いては、つねに実体関係を伴うか否かによつて左右され、申請手続などによつて左右されるものではなく、前記根抵当権設定登記が効力を有しないのは申請手続に瑕疵があるためでなく、有効な根抵当権設定契約が存在しないことにあるのであつて、控訴人が損害を被つたのは、右無効な抵当権設定契約を有効なものと誤信して訴外人に金三十五万円を貸し付けたことによることはいうをまたないところであるが、もし横浜地方法務局が不適式な登記申請を却下して前記登記手続をしなかつたならば、控訴人が訴外人に金員を貸し付けることはなかつたことを十分推知しうるところであり、かつ、登記済証の発行交付がある以上少くとも適法な申請手続によつて登記のなされたことを信じうるものであり、適法な申請手続によつて登記がなされる場合、これに副う実体上の権利関係を伴つていることは一般に否定し難いところであり、しかもこのような蓋然性に基いて、金銭の貸与を業とするものが、自ら登記所に出頭して登記手続をなすことなく、その委任状を借主に交付し借主をして登記手続をなさしめ、その登記済証を提出せしめ、これと引き換えに金銭を貸与することは世上一般に行われるところであるから、横浜地方法務局が前記登記申請を受理して登記済証を発行交付したことと右金銭貸借による損害との間には、いわゆる相当困果関係があるものといわざるを得ない。

従つて、本件においては、前記法務局の係員の過失によつて前記登記済証を発行し、これを前記澤口知至に交付したことが、控訴人が損害を被るに至つた原因の一をなしているのであるから、控訴人の被つた損害については、国は画家賠償法第一条第一項によりその損害を賠償すべき義務があるといわねばならない。しかして前記証人上野武平の証言によれば、控訴人はその使用人上野武平をして前記建物が澤口知至の所有に属するか否かについて調査したものであり、その調査が極めて粗略であつて、澤口知至の欺罔を発見し得なかつたものであるを認めることができるから、控訴人が前記損害を被るについては、控訴人にも重大な過失のあつたことを否定しえないので、この事情を斟酌するときは被控訴人の賠償義務の範囲は金五万円をもつて相当と考える。しかして、本件訴状が被控訴人に送達された日の翌日が昭和三十年十一月二十三日であることは本件記録に照らし明らかであるので、被控訴人は控訴人に対し金五万円とこれに対する昭和三十年十一月二十三日から完済まで民法所定の年五分の遅延損害金の支払義務のあるものである。

よつて、右と異る原判決を取り消し、控訴人の請求中右範囲の請求を正当として認容し、その余の請求を理由なしとして棄却し、訴訟費用につき民事訴訟法第九十二条第九十六条を仮執行の宣言につき同法第百九十六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 岡咲恕一 田中盈 脇屋寿夫)

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